春吹く風は思いのほか強く

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 カクヨムの短編賞創作フェスのタグ「お題:危機一髪」参加用に書いた話です。
 過去に書いた・日々これ、よき日 の登場人物を使いまわしました。

***

 当面の危機は去った。
 地球に向かっていた人類観測史上最大級の隕石は、先々月なぜか真っ二つに割れ、ギリギリ当たらない軌道に乗ったらしい。
 ――いやそんなことあんの??
 というのが、俺の率直な感想だった。

 めでたいには違いないが、とはいえ割れた際に新たに生まれた破片は数え切れぬほど存在する。破片と言われるとあまり大したことがないような気がしてくるが、実際数十センチ~数メートルもの岩が高速で地上に降ってくるとなると、危ないとかそういう次元じゃないし充分大いなる脅威である。
 予想されるそれらの落下予定日には近くの地下シェルターか大きな建物の1階に避難し、最悪でも自宅に籠り窓際に近寄るのは極力避け、どうかやむを得ない場合を除き外を出歩くのは控えるように、とテレビでニュースキャスターが連日読み上げ続けていた。

 カラカラと玄関の引き戸が開く音がした。
(あれ、親父ってまだ道場にいるんじゃなかったっけ)
「おーい。ただいまー」
耳を疑った。てっきり自分の幻聴かと思い返事もできず頑なに居間で寝転び続けていたら、当たり前のように玄関方向から懐かしい足音が近づいてきて、スパンと居間の襖が開いた。

 太陽光を背負ったその人を仰ぎ見て、転がったまま息が止まるかと思う。
 右脇に500mlペットボトルをひとつ抱え、左手にはおかしな長さで折れた木刀2本を携えて、熊にでも襲われたのかというデタラメな破れ方をしたジャージを着て、されどまるでいつも通りといった顔にはまだらに無精ヒゲを生やしており、その人は俺を見下ろし口を開いた。
「なんだ、いるなら返事くらいしろよ。誰もいないのかと思っただろ」
ほれスポドリ買ってきてやったぞー、ありがたく受け取れ~と500mlペットボトルがこちらに軽く放り投げられ、呆然としていた俺は手が滑り受け止め損ねた。
 不覚にも腹にダメージを食らい悶える俺を、「ドンくさいなー」とヒゲ面になった兄は楽しそうに笑った。

「、兄ちゃ」
「水は? もう出てる?」
「え。あぁ、あぁうん。出るよ出てるよ、ありがたいよな」
俺は何を言っているんだ。もっと先に言うことあるだろ、と思ったが、兄は口元にぼんやりとした微笑みを湛えながら、
「そりゃいいな。水道局の人に感謝だ」
と言った。
 それはマジでそう、と頷きつつ、ようやくこんがらがった頭と言葉が繋がりかけ、
「、兄ちゃん、」
「なんだよさっきから兄ちゃん兄ちゃんって。無理してやってた反抗期は? やめたのか?」
「誰が無理した反抗期だ」
こっちを見もせず、兄は畳の“いつもの場所”に胡坐をかき頭をボリボリ搔きながら、さすがにそろそろ風呂に入りたいな~と呟いた。

 だって兄ちゃんってだってほら、母ちゃんの葬式の後、「ちょっと出てくるわ」っつってフラッと出て行ってから、もうずっと、ずっと。
 人の気も知らないで、兄は「このジャージももうダメだな。ダメージジーンズは聞くけどダメージジャージなんか聞いたことないし、これはもはやリアルダメージすぎるもんな? どっかで新しいの調達してこないと……」などとブツブツ独り言ちながら、その肩に乗った桜をパッパッと払い落とした。

「っ兄ちゃんまだ生きてたんだな?? 幽霊じゃないよな??」
「おい勝手に殺すなよ」
好き勝手言うなよなほんとに、と溜め息交じりに呆れた声を出された。
「だってそうなるだろ、何か月経ったと思ってんだよ!」
「んー……、半年くらい? あれ、もっと経つんだっけか?」
ははは、だってスポドリ全然なかったから、と笑った。
「、スポドリなんかなかったらなかったで別に俺っ」
「でも見つけてきてやるって言っちゃったからなー」
可愛くもない弟でも欲しがるもんはやりたいわけ、俺もお兄ちゃんだったんだな~って心底関心した、と胸に手を当て目をつぶり、わざとらしく空を仰いだ。

 ボロボロジャージを纏い笑うヒゲ面を見て俺は、俺は。
 ……なんか、だんだんめちゃくちゃ腹立ってきた。マジでなんなんだこいつ。

 隕石のせいで世界がめちゃくちゃになって、母ちゃんが死んで葬式をして、兄ちゃんがいなくなって、父ちゃんとふたりクソほどくだらないことを言い合いながら、毎日必死になってお互い死なないようにと気持ちを保ってきたのにこの兄ときたら。
 弟が軽い気持ちで欲しがったスポドリを半年探してました~! ってマジでなんなんだよ。
「死んだと思った!! 死んだと思った!! なんならちょっともう死んでるだろ!!」
「ちょっと死んでるってどういう状態なんだよ? この通りピンピンしてるけど」
「だってそりゃ死んでるって思うだろ! だって世の中めちゃくちゃに、っめちゃくちゃになって……」
 うちの母ちゃんを追いつめたくせに隕石はなぜかふたつに割れ、まるで何事もなかったかのように俺たちを放って宇宙のどこかへいってしまう。

 どうせ割れるなら、もっと早く割れてくれてたらよかったのに。そしたら母ちゃんだってここにいたのに。
 いなくなってしまうなら、最初から現れないでほしかった。こんなにヘトヘトになっても俺たちは、どれだけ時間がかかってもいつかきっと立ち上がってしまう。
 皆で死ぬつもりでいたのに、またいちから頑張りなおさなくてはならなくなってしまった。

「……なぁ兄貴」
「? あれ、兄ちゃんって呼ぶのやめるのか? 懐かしくていい感じだったのに」
「マジでどっかに頭ぶつければいいのに」
「半年ぶりに会った兄貴にかける言葉がそれか?」
お前は労りの気持ちを持った方がいい、などとのたまわれ、久方ぶりにその顔を見てからずっと思い浮かんでいた疑問が、もう口からまろび出かけていることを悟った。もう我慢できなくなっていた。
 ……そんなわけないだろ、と思いながら、でもこの兄は刀を握らせたら向かうところ敵なし、文字通り鬼のように強い人なのである。気は優しくて力持ちの典型のこの人が唯一怒るのが、俺か母が理不尽な目に遭ったときだけだった。

 隕石は、真っ二つになった。母を追いつめた諸悪の根源が、割れたのだ。ざまぁみろだ。
 連日繰り返すニュースキャスターの声が、脳でリフレインされた。
『――その切り口はまるで、一刀に付したかのような』

「……。兄貴、もしかして隕石切った?」

 言われた兄はキョトンとした。ハトが豆鉄砲云々とは、こういう表情を言うのだろう。次いで訪れたのは、涙を伴う大爆笑だった。
「っはっはっはっはっはっは!!」
「、なんだよ!」
「そうかそうかそんなにお前の中の兄ちゃんはすごいか! あっ! いまの伝えたいな後世に……! そうだ録音するからもっぺん言えよ!! ほらもういっぺん!!」
「やめろ。おいやめろ!!」
「やば、っやッばいなこれ後から来る、あっは! ひっひひ!!」
腹を捩り畳に転がるボロジャージを見て、マジで言うんじゃなかったと心から思った。こんな無精ヒゲのリアルダメージジャージが、この非常時になにかをなせるわけがないのだ。

 それに、そもそもうちは二刀流。真っ二つということは、ひと太刀外してしまっているのだ。一子相伝の技を継ぐ男が、そんなヘマをしでかすなどありえない。
 なんでも切れる二刀流なんて言い伝えも、よく言えば先祖の願望であり普通に言えばただの大法螺なのだから。そもそも兄が持って出たのはいまその横に無造作に転がされている木刀2本(しかも折れてる)で、我が家に代々伝わるなんとかって有名な刀工が打った真剣ですらないのだ。

 居ずまいを正すと、兄はまだ漏れ出る涙をぬぐった。
「いや~~! 今日は気分よく眠れそうだ! 英雄になると気分がいい!!」
「俺は最悪の気分だよ」
そうかよ可哀想に、と笑った。
「でもまぁ確かにお前から見れば英雄だろうな、なんせこのディストピアに落ちた世界でスポドリを見つけてきた人間だからな」
「頼むんじゃなかった……。一生恩着せられるやつだろこれ……」
着せる着せる、なんなら重ね着させていく、とまたデタラメなことを言った。
「つーか半年もなにしてたんだよ……。まさかマジでずっと俺のスポドリ探してたわけじゃないだろ? ずっとどこでなにしてたんだ?」
なぁ、結構マジで聞きたいんだけど、と声をかけると、兄は数秒黙ったのち、ニヤリと嫌な笑顔を浮かべた。

「それよりお前、大事なこと言うの忘れてないか?」
「……? なんだよ……。あっそうだ親父呼んできてやらねぇと、うるせぇだろうなきっと」
「やめろやめろほんとにうるさいだろ親父が来たら」
兄は千切れんばかりに首を振った。
 後でいいんだ親父は、どうせ元気なんだろ、と述べた。こんな薄情な息子がいて親父も大変だなと、俺は人生で初めて父親に同情した。

「で、なんなんだよ」
「俺に礼を言い忘れてるよな」
「はぁ? 礼?」
おもむろに兄は胸の前で手を組んだ。
「――“偉大なるお兄さま、僕のためにスポドリをどうもありがとう。毎日1ミリリットルずつ大切に飲むよ”」
「腐るっつの」
「“兄ちゃんカッコいい尊敬してる、隕石まで切っちゃうなんてすごい!”だろ。ほれ、復唱~」

 カッと頭に血が上った。気が短いのは親父譲りだ。
「はぁ~~?? んなのぜったい言わねぇ~~!! こんなもん探すのに半年とかマジで馬ッッ鹿じゃねぇの??」
「そんな言い方ないだろ、離島にまで渡ってやっと見つけたんだぞ?」
「離島? 離島ってどこのだよ、探すにも限度ってもんあるだろ!」
こんなもん一気飲みしてやらぁ! と手をかけ捻ると、まさかの蓋と中身がはじけ飛び俺は悲鳴を上げた。
 炭酸である。
「、これスポドリじゃねぇじゃん!!」
「スポドリもあったんだけどさ。お前アホみたいに素直だしきっとアホみたいに驚くと思って」
なんか久々に見たくなったんだよなぁ、癒される~、と続き、俺は心底気を悪くした。

 そうだったこういうやつなのだった。
 気は優しくて力持ち、されど信じられないくらい下らないイタズラが好きで、人が忘れたころにあれこれと仕掛けてくるのだ。

「……貴重な水資源で洗わなきゃならねぇじゃんか、くそぅ」
 これ以上畳に被害が出ぬよう、ペットボトルの飲み口を押さえながら俺は慌てて庭に出た。見事に学ランがビチョビチョになったのを見て、それは晴れやかな顔をして爽やかに笑っていた。
 本当に、本当に腹が立つ。

 当面の危機は去った。隕石は割れ、俺たちを避けて彼方へと去っていく。
 まだまだ世間は騒々しくロクでもないことだらけだが、そのうちきっと日常が戻ってくる。少なくとも人類は概ねそう望んでいるのだから、どうしたってそうなってゆくに決まっているのだ。

 ふと向こうの廊下から、ドタバタと親父が走る騒々しい足音が迫ってきた。きっと俺たちのわめく声が聞こえてしまったのだろう。
「ほらー、あんまりお前が騒ぐから親父に気づかれちゃっただろ」
と、兄はどこか楽しげに悪態をつき、舞ってきた桜の花びらを掌から吹き飛ばした。

Fin.

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