仙境に猫

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 最初は、魔女っ子に憧れた。
 幼少期にTVでやっていた子供向けアニメで、少女は異世界から来た小さな精霊に頼まれ、こちらの世界とその精霊の世界の二つを守りぬく使命を与るのだ。
 魔法と優しさで、陰ながらみんなを救う姿に憧れた。

 その次はアイドルだった。
 華やかな衣装を身に纏い歌い踊り、常に笑顔を忘れないその姿に勇気をもらった。クラスの友達と振付を覚え、それぞれの好きなアイドルのパートを歌い、踊った。
 努力で夢を手にし、なおかつみんなを元気にする。将来なりたい姿だった。

 その次はファッションモデルだ。
 雑誌に並ぶ彼女たちは、みんながみんな可愛くてスタイルがよくてオシャレで、いつも自信があるように見えた。どうすればその姿に近づけるのか、友達とたくさんの雑誌をのぞき込みながら、いつもあれこれリサーチした。
 なれないとわかっていても、真似をしていたかった。少しでも近づきたい存在だった。

 その次はサークルの先輩。
 そして、新社会人になったときは会社の先輩だ。
 年もさほど違わないのに、自分には真似できないような気づかいを見せ、目上の人との会話にだって気後れしない。どんな年齢の相手にだって平気な顔をしていた。自分よりずっと大人に見えた。
 眩しく映ると同時に、私はこれからそんな風になれるのだろうか、と若干の不安を覚えた。

 そして、社会人10年目のいまの私に憧れはない。

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「……。あんまりだわ」
「そう?」
私の隣で、手を振り車を見送った友人はケロリと返してきた。そうよォ! と涙声が出た。
「こんなに可愛がってから手離すなんて、つらいに決まってるでしょ……!!」

 子猫を飼っていたのだ。一時的に、だが。
 友人が自宅駐車場で拾い、ただ残念ながらその友人の家はペット禁止のアパートであった。たまたま近所におり、ペット可のマンションで暮らしていた私のところへ急遽連れてきた。
「自分の生活で手一杯だもの」
と、動物を飼う気なぞ生涯なかった私は、突如同居することとなったその小さな生き物に翻弄された。
 風に揺れるカーテンに目を奪われては飛びつき、私の足先を見つけてはじゃれつき、髪がはねていたら背中をよじ登り、靴下が落ちていたらかじり、まぁそりゃやんちゃだった。

 だが手のかかる子ほどなんとやら。
 たった数か月ですっかり情が移っていたのだ。

「でも、いい人たちだったでしょう?」
黙って頷くほかなかった。
 引き取り先は、小学生の子供が二人いる四人家族。共働きで金銭的余裕もあり、一軒家住みだそうで双方の実家とも近い。そしてみんな猫好き。
 子供の進級祝いに、二人がかねてより欲しがっていた猫を満を持して探しはじめたところだったと言う。はじめはどこかブリーダーからと思っていたそうだが、友人から話を聞き、いま困っている猫がいるなら喜んで迎えたい、と見に来てくれたのだ。
 子供二人はまだやんちゃな子猫に歓声を上げ、子猫は子猫で見慣れぬ小さい人間二人に興奮し、全身でじゃれついていた。

 即断即決してくれたその新しい家族に、この数か月間にやっていたエサやトイレシートなどを譲り渡した。
 譲渡は悩むまでもなかった。もともと一時のつもりだった。良い引き取り手が見つかるまでだ。
 あの家ならきっと、寿命を迎えるその日まで大事にしてもらえるだろう。
 そう思うほか、今は心のやりどころがない。静かに落ち込む私を見た。

「そんなに寂しいなら行く? 猫の園」

 なにそれ??
 その週の休みに、早速連れて行かれたのは郊外も郊外、なんなら山だった。
 自然豊かというか山。運動靴を履いてこいと言われた通り、道も早くから塗装がなくなり、徐々に凸凹としてきた。忙しなくも便利な都会住みの我々には、さながら軽い登山の雰囲気だ。
 木陰でやや暗くなった山道を抜けると、急にぱっと開けっ広げになった空間があった。その真ん中には公園かのような大きな柵で囲まれた場所があり、思い思いの場所でたくさんの猫たちが自由気ままに過ごしていた。

「猫の園、とはよく言ったものね……」
 これだけいるのだ、てっきりブリーダーの家かと思ったが、
「どうも億トレーダーだとか元スパイだとかどっかの会長の子だとかって人が、行きついた猫の面倒見て養ってあげてるらしいよ」
と友人は言った。
 なにそれ、と返事をしようとしたら、柵の向こうにある建物から熊みたいな髭もじゃの男と、何匹かの猫がそれを追って出てきた。
 友人はどうもーと手を上げた。男はこちらに気がつき無言で手をあげ返すと、緩慢な動作で歩み寄ってきた。近くで見ると意外と肌ツヤがよかった。山男のような面構えだが、実はわりと若いのかもしれない。

 会釈をしたが、挨拶もなかった。
「猫もらいに来たの? うちは審査厳しいよ」
「見に来ただけです、うちはペット不可なんで」
「そっちは?」
「いえ、私も」
来ただけだと言う前に、なんだ、とつまらなさそうに言った。
「……。猫、好きで飼ってるんじゃないんですか?」

「いや? 犬の方が好きだね」

 えぇ……??
「それに、好きだとしても普通ここまで飼わないでしょう。もし誰かが真似すると言い出したら、僕は止めます」
自分はやってるのに……?
 初対面ですでに色々とブッこんできたが、
「構いたきゃ勝手に構っていってください。
 幸い人好きなのが多い。これだけいれば、触らせてくれるのもいくらかいるでしょう」
でももし猫に不審なそぶりを見せたら山に埋めるので、と男は言った。
 言い草に慣れているのか、友人は「実はお気に入りの子がいるんだよね」と探しに行ってしまった。二人にするなよ……。

 男についてきていた何匹かの人懐こい猫は、私という異邦人に寄ってきてそれぞれ気まぐれに挨拶をしてくれた。男はそれをぼんやりと眺め、ふいに口を開いた。
「……あなたは、仕事は楽しいほう?」
「? ええ、まだまだ学ぶことだらけですけど、性にはあってますね」
私は変わり映えのない日々に満足していた。退屈な毎日は平穏で心地よかった。
「そう。それはいいね。……僕も仕事は好きだった」
獣医をしてるんだ、いまはほぼ開店休業状態だけど、と言った。
 なるほど、だからこれだけの数の猫でもきちんと面倒を見てやれているのか、と思った。普通ならとても無理だろう。

「当たったんだよね、昔。宝くじがさ」

 え、とその横顔を見上げると、こっちを見もせず視界の先で戯れる猫たちを見ていた。
「色々言われてるんだろう? 知ってるよ、僕が億トレーダーだとか元スパイだとかって話」
「あー……。ははは……」
苦笑いするしかなかった。実際、どれもさっき聞いたところだ。
「人は欲深いだろ。渡せば増やしてやるだとか貸してくれだとか、あわよくば幾らかくれないかとか、しまいには命を狙われたりもしてね。
 友人や身内だと思っていた人たちですらそうだったから、疑心暗鬼になってしまって」
人に会うのがすっかり嫌になってしまった、と言った。
「えっと、それをなぜ私に?」
「お金に興味なさそうだったから」
その通りである。大金に興味はなかった。自分がそんなものを得ても、使いあぐねるのが目に見えていた。

「やっていた動物病院も畳んで、飼ってた猫一匹を連れてここに来たんだ。
 最初こそ寂しかったが、意外と慣れるし悪くない。
 ぼんやり過ごしていたら、うちの猫が近くで怪我をした猫を見つけてきた。手当てしてやったら、野良だったのか捨て猫だったのかそのまま居ついてしまった。しばらくしてそいつが別の、それも妊娠した猫を連れてきた。弱ってたから産むまではと思って様子を見ていたら、そいつも子猫ともども居ついてしまった。
 そいつらがまた別のを連れてきてって感じで、しまいにはみんな居ついてこの有り様だよ」
周りには、ずっと何匹もの猫が男を幸せそうに見上げ、纏わりついていた。男はしゃがみ込み、足元にいた猫を順番になぜた。

 なんとなく、この男が猫に好かれるのもわかる気がした。
 強すぎる興味は寄せないが餌をやり、怪我や病気をすれば様子を見、常に傍にいて構ってくれるのだから。猫の生活とは相性がいいのだろう。

「動物にはより良い暮らしだとか、人間が持つそういう欲がないからね。疑心暗鬼にもならずにすむ。表裏がないのもいい。
 食べるものをやって、あとは自由な空間と時間を用意してやるだけで、それは素直に満喫して暮らしてくれるんだから」
「ここまで広大な空間を用意できる人はそうないでしょうね」
「山自体は意外と安いよ、手に入れてからのほうが大変だった。まぁ掃除と予防接種とエサやり諸々も大変だけど」
自宅では数えきれないほどの自動掃除機が猫の毛に斃れ殉職していったという。
 
「……私たちが来たのってご迷惑なのでは?」
「別にあなた方のせいじゃない。疑う目を持ってしまった人間は、そういう感覚をなくせないから。仕方ない」

 猫の園は穏やかだった。彼らにとって、なんの脅威もない楽園のように見えた。
 そう過ごさせるために、木を倒し整地し、この場所をつくったのだ。

 ──すごいな。

「憧れます」
「え、話聞いてた?」
聞いてました、と頷いた。
「山買って環境整えて、猫も自分も大事にできるなんて素晴らしいですよ」
逃げ出しただけなんだけど、と男は鼻先で笑った。
 撫ぜられていた猫が一匹、目の前で仰向けに伸びてそのまま寝始めた。その腹には手術痕とおぼしき古傷があった。猫からしたらきっと救世主だ。

「おススメしないよ? クジでもあたらない限りはね」

 相槌のつもりか、男の足元で猫が鳴いた。

Fin.

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猫の園(短話連作)

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黄昏に老猫 (同上)

日常に花栞 (同上)

青嵐に氷菓 (同上)

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