Meets the killer

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***

 耳鳴りの聴こえてきそうな、静かな夜だった。
 周囲は真っ暗で、光源となるものは俺が持ってきた懐中電灯が一つだけだ。いまその懐中電灯は土の上に転がっている。他に明かりはなにもない。
 ここはド田舎の山奥の、もっとずっと奥の奥。ニュースで”地域住民すら通らない”などと形容されるような場所だ。

 ――なんでこんなことになっちまったんだ。
 それは、もう何時間もずっと頭の中を巡り続けている言葉だった。
 自身の荒い息遣い、そして鉄シャベルで土を掘り起こす音だけが響く。破裂しそうなほどに動く、自分の心臓の音がひどく癇に障る。うるさい。
 背後に転がる、すでに物体となり果ててしまった女を見やった。横たわる体はとうに冷たくなっていた。不安と動揺と混乱で叫びだしそうになる気持ちを抑え、手に力を籠め直すと鉄シャベルを土に突き立てた。

 自宅マンションから運び出し、車を飛ばしてこんな山奥まで来た。
 道中、切れかけたガソリンを入れるのにスタンドに寄ることすら躊躇われた。だが入れないわけにいかない。女の死体を乗せたまま、エンストで誰かに見つかるなんて、この女のせいで人生がむちゃくちゃになるなんてそんなこと、考えただけで吐き気がした。

 吹き始めた夜風に、身が震えた。秋風はやや強い。ジャケットの襟を立てたが、こんなもの気の問題だった。なぜ、フードのあるものや帽子など被れるものを持ってこなかったのか。気が動転しており、着の身着のままで家を出てきてしまったのだ。
 今日は、夜から朝にかけて雨になるという予報だったことを思い出す。運転中ずっと、ラジオで流れていたのだ。なんとか雨が降り出す前に終わらせないと、と思う。夜風にざわつく樹々に、不安を煽られた。

 まさか、野山の土を掘るのがこんなに大変だとは思わなかった。
 人に見つかってはならない、と少し深いところまで分け入ったのがまたマズかった。樹々の生い茂った場所は、表面にも木の根が張っており実に掘りにくい。人ひとりを埋める穴なんて掘れる気がしない。
 すでにボコボコになっていた心が、完全に折れてしまいそうだった。

 ふと、ザクザクと道なき道を踏み分けてくる足音がした。
 ――おいおい、嘘だろ。
 足音は躊躇なくこちらへと向かって歩いており、
「すいませーん」
声に猛然と振り向いた俺の顔を見て、女はグッと押し黙った。よほどひどい顔をしていたのかもしれない。固まっていたが、足元に転がしてあった”それ”に気が付き女は近寄ってきた。
 鉄シャベル片手に立ちすくんでいた俺は、パニックだった。

「――ちょっと、まともに埋める気あるの? 気合入れなさいよ」
怒りにも似た声だった。
 そんな調子じゃ終わらないわよ、と俺からシャベルを奪って掘り出した。それを呆然と見守った。
 呆然と見つつ、女が軍手をはめていることに気が付いた。女は上半身に暗い紺色のジャージを着ており、真新しい黒いスニーカーを履いていた。そのわりに下半身は黒いタイトスカートに黒ストッキングで違和感があった。化粧はばっちりしており、染められた髪は綺麗に結い上げられていて混乱した。色気があるのかないのかわからない、そのちくはぐな恰好に戸惑った。
 腰を入れて鉄シャベルを突き立て続ける女を見て、慌ててその辺に落ちていた太めの木の棒を拾い、しゃがんで俺も必死に掘り進め、死んだ女を埋めた。

 夢でも見ているのではないか。
 しかし、穴に棄てる際に持ち上げたあいつの、あの信じがたい重みと冷たさはまぎれもなく現実だった。投げ込んだ途端、どっと体の疲労感は増した。このまま大の字に倒れて、もう二度と目を開けたくないとすら思った。

 ちぐはぐ女は、手際よく不自然じゃない程度に土をかけて固め、近くに山ほど落ちている枯れ葉をざっと抱えて上からバラ撒いた。ぱっと見、どこに埋めたかわからなくなった。やり切った感のこもった溜め息を一つ吐くと、俺にシャベルを返してきた。
「…………。なんで手伝ったんだ?」
「困るのよ、見つかったら」 
訝しげな顔をした俺と目を合わせず、女はしていた軍手を取ると上ジャージのポケットに突っ込んだ。

「――私もさっき棄ててきたとこなの、死体」

***

 女は車に乗せろと言ってきた。
 手伝ってもらえたのはありがたかったが、厄介ごとは御免だったし、しばらく一人になりたかった俺はげんなりした。
「……ここにはどうやって来たんだよ、車だってあるんじゃないのか」
「いいのよ、私のじゃないもの」
怪訝な顔をした俺に気が付いたのか、フンとそっぽを向いた。
「あなたに関係ないでしょう? 道のあるところに下ろしてくれたらそれでいい。もちろん誰にも言わないわ、そんなの私が一番困るんだから。頼まれたって言わないわよ」
とにかくどこかまで乗せて、と女は云った。
 俺はグズグズと断りの言葉を紡ぎつつ、トランクにシャベルを積み込んだ。その間に女は勝手に助手席に乗り込んでおり、俺は諦め半分で運転席に乗った。

 何か言う前に、女が口を開いた。
「私を乗せておいた方が、そっちにとっても都合はいいはず。こんな夜中に一人でフラフラしてたら職質されるわよ?」
これはお互いのためだと女は云った。
 山を下る途中、ついに雨が降り出した。まだまだ勢いの強くなりそうな雨だった。埋めた女が出て来てしまわないか、俺は少しだけ心配になった。
 助手席の女は、黙って乗っていた。ラジオDJのいやに明るい声だけが車内に寒々しく響き、俺は暗鬱とした気持ちになっていた。

「……婚約破棄したの」
ぽつり、と云った。独り言のような感じだった。特に興味はなかったが、ちらりと視線をやると疲れた顔をしていた。
「もちろん、私からわざわざ殺しに行ったんじゃないのよ?
 婚約してた男に他にも女がいてさ、しかもそっちは既婚者でさ。なんか結局その女も捨てられたみたいなのよね。あの男と私がもう切れてることも知らないで、うちまで乗り込んできて『お願いだから別れてください! 私には彼しかいないの!』とか言って泣き出したの。
 家族がいるくせになにが『彼しかいない』よ、あんたのせいで婚約ポシャッた私はなんなのよ、被害者ヅラすんなって思った」
相槌など要らないようだった。
「なのに女は私の前で、それはしおらしく泣くの。可哀想でしょう私、みたいな顔して。もう、私アッタマきちゃって。気付いたらその空っぽの頭にトロフィーぶっ刺しちゃってたの」
女は助手席でやたら喋った。黙るのが怖ったのかもしれない。
 ほとんど相槌も打たず、無言で運転し続ける俺に女はようやく「あんたはなんで殺したの」と云った。

「…………別れた女に、妊娠したから結婚しろって迫られたんだよ」
「へぇ」
「言っとくが、もともと向こうの浮気で別れたんだ。とっくに冷めきってたから、馬鹿馬鹿しくて怒りも湧かなかったよ。
 今更、情もないのに家族としてなんてやっていけない。下ろすなら費用は出すし必要なことはする、産みたいなら養育費は出す、でもお前とは一緒にならないって云ったら、いいからとにかく結婚しろと言われた。
 『お前は黙って父親になればそれでいい』んだとよ。
 いい加減にしろと言ったら、俺に襲われたと警察に行くと脅された。断ったら人生をめちゃくちゃにしてやる、と」
助手席の女は、冷めた目をした。
「……どいつもこいつも、なんで周りが言うこと聞くと思ってんのかしら」

 俺は返事をしなかった。
 もうずっと昔みたいに思える、ほんの数時間前のことを思い出していた。
 気が付いたら俺は割れて半分の長さになったワインボトルを片手に、倒れ伏す元カノを呆然と見下ろしていた。ワインに血が混じり、床に嫌なマーブル模様を作っていた。なんてことをしたんだと思った。
 元カノは血だらけだったが、生きていた。救急車を呼ぶと慌てた俺を見上げ、ぼそりと言った。

「――本当に使えないよね」

 自身の血が凍るのを感じた。
 なぜ、俺は一度でもこの女を愛しいと思えたのだろう。付き合っていた時からわかっていたことだった。女はいつだって、俺を見下していた。だから、多少強めに脅せば云うことをきくと思ったんだろう。

 どのみち、救急車を呼んだとて俺の人生はむちゃくちゃにされてしまう。そもそも別れたのだってこいつの浮気が原因で、腹の子も俺の子かなんてわかったもんじゃない。
 突如、猛烈な勢いで脳を駆け巡った止めを刺すための言い訳は無限にあり、気づけばその首に手をかけていた。女は想定外の事態に目を剥いた。殴られた時は血だらけでも冷静だったくせに、なぜ首を絞められて驚きだしたのか、意味がわからないなと思った。

 首を締められながらも、女は怯えもせず俺を睨み続けていた。
 こいつのこういうところが嫌いだったんだよな、と息絶えてゆく女を見つめながら思い出した。

「あ、ここでいい」
途中で、知らないマンションのゴミ置き場に上ジャージと手袋を処理してきたので、女は身一つだった。

 女のさっきの話が、本当かどうかは甚だ疑問だ。
 俺と云う殺人犯に出くわし、自分がなんとか生き延びるために装っているのかもしれない。死体を埋めるのも手伝い、車に乗り込みでっち上げた嘘で俺から話を聞きだし、共感しているふりをしてなんとか生存し、車が去った途端きっと携帯電話を取り出すんだろう。
 死体を埋めた殺人犯が、同じく死体を埋める殺人犯に出くわしてしまうより、そちらの方がよほど現実的に思えた。

「お互い捕まらないといいわね」
「……そうだな」

 もうなんでもいいや。疲れた。
 女を下ろし、俺も自宅へ帰るべくアクセルを踏んだ。

fin.

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