第1話(2)翡翠は月夜に嗤う

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前話 第1話(1)黄金に群がる烏合の衆よ

* 翡翠は月夜に嗤う *

「聞いてくださいよ親父さんー、褒められたんですよー。あのね今日賞を取った子でですね、なんか若いんですー。真っ赤になって俯いちゃってねぇ。綺麗な色をしてたんですよー」

 嬉しくないと言えば嘘になる。
 事実、その帰路で既に酔っているというのにいつもの居酒屋へ寄って、馴染みになって早数年の店主に心配されながらも自慢する程度には嬉しかった。

 あのあと、彼は再び頬を紅潮させ、
「俺ちょっと便所へ! すみません本当に!」
と、それまでの数倍もの音量で、当初の私の予想であった便所を高らかに宣言し、逃げるように会場から出ていった。

 ――まるで台風のようであったな。
 口元からふふふと声が漏れ出る。アルコールに浮かされた頭でぼんやりと思う。言っていた事は良く分かりませんでしたが、言いたい事は理解しましたよ。褒めてくれたんですねぇ。

 そして一人残された本田に、意地悪な好奇心を隠せない人たちがじりじりと距離を詰めてくるのを感じ、誰に言うでもなく彼の便所宣言と同じ音量で
「さぁそろそろ帰りますかな!」
と言い置き、本田は足早にその場を後にしてきた。

 夢だったのだろうか。今となってはそんな気がする。
 だがしかし夢なら夢で、幸せな夢だ。
 ――私の作品を面と向かって褒めてくれたのは、あなた以来なんですよ。
 呂律が回らず、その言葉はむにゃむにゃと居酒屋の空気に溶けた。苦笑いした表情を見るに店主へうまく伝わらなかったようだ。

「そうだ菊さん。最近物騒だから早く帰って下せぇ、殺人犯がまだ捕まってねぇんです」
 奥方と死に別れ、幼い二人の息子の生活を一人で担うに相応しい大きくがっしりとした体躯と、そのべらんめぇ口調に似合わず、この店主という男は酷く心配性な人であった。

 もともと自分が相手の話に釣られて身の上話をしてしまったせいなのだが、本田が父親に勘当を言い渡されもう何年も家族に会えていないことや、酒を酌み交わせるような親しい友人がいない事をいつも気にかけてくれているようであった。
 いつでも遊びに来て下せぇ、俺らはいつだって歓迎ですぜ。と店主とその子供たちは笑って言った。
 そういう無償のものを誰かから与えられることに慣れていない本田は、店主の気遣いは嬉しいがどうにもむず痒いのであった。

「自分の身くらい守れますよー、弱っちくみえるかも知れませんが私とて日本男児ですよ」
スーツの上から力瘤なぞ見えないだろうに、小さくポーズをとってみせた。
 店主は小さく苦笑し、今度は酔う前に続きを聞かせて下さいね、と本田の帰宅を促した。

 わざわざ店外まで出て見送る心配性の店主に、手を振って応えながらふらつく足を動かす。
 終わり行く夏の風の涼しさが、熱を持った頬に心地良い。高層は風が強いらしく、見上げれば美しい月の表面を朧な雲が流れていく。

 ――殺人犯、ねぇ。
 その話はパーティでも少し挙がっていたし、ニュースにもなっていたから本田も知っていた。
 二年ほど前から川辺で連続殺人が起こっていたのであった。犯行は決まって月の綺麗に見える晩、川原で喉元をパックリ切り捨てられているという。被害者は既に十人をくだらない。
 被害者に共通点がないことや金品を奪った形跡が無いことから、恨み目的や顔見知りの犯行ではなく、ただ殺すことを目的とした、所謂シリアルキラーではないかという噂であった。

 ――なんでよりによってそんなことしちまうんだか。
 わっかんないなぁー……! と独り言が漏れた。職業病と言うやつだろうが、誰かの人生という物語に同調しようと想像することが本田にはよくある。元より空想が好きなのだ。
 なにがあったのだろう、どういう理由でどういう気持ちでどんな決心をして、という具合である。大抵の事柄には理由がありそして理由を知れば、視点を変えることによりその気持ちを汲みとるなど造作もないことであった。

 だが今回の事件は、基本的に温厚で何より面倒を嫌う本田には犯人の心が一辺も理解できなかった。まず、どれほど怒りが湧いても悲しくなっても、例え身内が殺されたとしても本田が殺しを企てることは無いからだ。勿論、生きていれば頭でそういう残忍な想像をすることも時折ある。だが実行に移すなど、天地天命が下ったとしても出来ない男だった。
 人殺しなど、自分の中の一握りの大切な何かが壊れてしまう気がした。
 だいたい殺した時点ではスッキリするかもしれないが、その後死ぬまで自責の念に駆られて暮らすことを思うと、お天道様に頼まれたとしても御免だ。

 おまけに理由も今の所わかっていないときたら、殺人衝動を起こす切欠が全くわからない。でも犯人はきっと若いのではないかと本田は思っている、後先の事よりもその一瞬の欲求を優先している。切り口の深さや躊躇いの無さから想像するに、恐らく男だ。
 川辺の警戒網をくぐって殺人を続けていることから、かなり挑発的な人間だと言えよう。

 そこまで考えて、ふと数年前読んだ小説を思い出す。
 今日受賞したあの青年が書いた、あの最初の小説だ。あれもシリアルキラーの話だった。

 殺人欲求が抑えられない、誰といても孤独な犯人。
 親兄弟からも友人にも、彼は愛情を一心に受けていたのに、ある日ボタンが掛け違ったことで全てを失い、本人も知らず知らずのうちに心は歪み、気がつけば胸元に刃物を隠し夜の街を歩いている。

 世間では何の慈悲も無い冷酷な殺人心理が云々かんぬんと評されていたが、本田は主人公を憐れに感じた。そうやって距離を置き、他人事としてみられることこそが、あの犯人の孤独であり殺人衝動の源であるのに。

 ――彼は人を求めて殺していたのだ。
 人から流れる熱い血潮に、一瞬の安息を求めて彷徨っていたのだ。捕まるかも知れぬ明日よりも、生きる実感の湧かぬ明日に怯えていたのだ。

 いま思い出しても素晴らしい。
 この事件もあれくらいの深みが欲しいところだ。被害者の方たちには申し訳無いが、どんなに非道だとしても少しは人間臭い面がないとねぇと心の中で言い訳する。

「よ……っと」
 まだ夏は終わりきっていないというのに、フライングで鳴き始めた秋の虫の声を聞きながら、道程にあった小石を蹴って歩く。まぁまぁのコントロールだ。

 世辞や嘘であったかもしれない。
 だがあれほど達者な文を書く人間が、あんなに実直で不器用そうな青年だとは思っておらず、ちょっとおかしかった。いい意味で期待を裏切られた。
 そんな人間があれほど懸命に自分に言葉を紡いでくれたことが嬉しくもあり、

 小石に追いつき、蹴る。

 もし演技ならば作家ではなく俳優を目指した方が遥かに稼げるだろう。
 人よりちょっと眉は目立っていたがあれも個性と言えなくも無いし、顔も整っていたしパツ金で碧眼だし、と醒めきらぬ頭で思う。

 また蹴る。今度は加減を誤り、草叢にまぎれてしまった。
「ちぇっ、……ふふふ」
二日酔いになっていなかったら、明日にでも読み直そうと本田は心に決める。

 新たに蹴る石をなんとなく見繕ったところであった。

「、」
 ふ、と立ち止まる。何か聞こえた。

「~~、……っ」

 ――鈴虫の声? いや、それもあるけど違う。
 女性?
 痴話喧嘩かと思いつつも、おかしい。

 相手の声は一切聞こえず、
 耳を澄まさねば聞こえぬような小さな小さな声が絶え間なく続いている。

 これは。

 これは、悲鳴だ。

 小さく舌打ちをする。この心地良い夜に痴漢か、下衆め。

 夜風に当たり酔いもマシになっていた。
 それでもややふらつく足を懸命に走らせ、小さな声の源を探す。
 土手を下って行く。川の水面が月明かりを受け、少し目が眩む。

 人影が二つ見えた。
 ――この馬鹿者め何をしている! それが発せられることは遂に無かった。

 店主には苦笑されたが、本田は本当に腕には自信があった。
 医者である父は大変厳格な男であり、彼に心身共に鍛えられたからだ。母に似て骨格も小柄で女のように線が細く大人しかった本田少年は、とてもじゃないが父の望む豪胆で骨太な男に成長するとは思えなかった。
 見た目を補うためであったのだろう、柔術は元より剣道合気道と一通りの武術は否応無しに体得させられていたし、それなりに喧嘩をした経験もあった。

 自信はあったのだ。
 だが実際はどうだ、この様は。

 本田の目の前二十メートルほどであろうか。
 髪を振り乱した女性は後ろから男の影に捕えられ、左手に持った小刀で喉元を掻き切られた。
 一瞬だった。
 喉から冗談みたいな量の液体が音もなく流れ、男は左手を翻し掴んでいた右手を離す。

 ――どさり、
 女の体は地面に横たわった。ありえない腕の角度をしていた。

 男の影は静かに女を見ていた。逆光となりこちらからは表情は見えなかった。

 悲鳴なんて上がらず、驚くほど静かだった。
 ただ自分の生を証明する心の臓だけが、痛いほどに自己主張していた。膝は地震を疑うほどに震え、本田はその場にへたりこんだ。
 血の気が引いていた。酔いなんてとっくに他所へ飛んでいた。

 気配に気づき、男が振り向く。
 闇夜にぬらりと光る刃物と、月夜を映す場違いに美しい金の髪が川の水面と同化して光り、眩しかった。

 ――私は、この男を知っている。
 蒼い双眸と目が合った。

 数時間前、私の前で赤い顔をして俯いていた青年、
 会えて、本当に光栄だと笑ったあの瞳、
 カラスに囲まれ、年相応に優しく輝いていたあの笑顔が、

 能面のように何の感情も見せなかった。

「本田先生、」

 蒼い目があの時と同じように。

 気がつけば本田は全力で夜の道を走りだしていた。
 転ばないために次の足を出しているだけで、走るというよりは転がると形容する方が近かったかもしれない。

 怖かった。
 自分の名を呼び、何事もなかったように笑った。

 おかしい。おかしい。
 死んでいるのに。殺したのは彼自身なのに。

 ――狂ってる。

「っは……、」
 もう足が動かない。その場に倒れこんだ。
 どれほど走ったであろうか。体力の限界で、口の中は急な全力疾走に耐え切れず鉄の不味い味がした。

 街灯には蛾がたかり、恐ろしい月明かりを誤魔化してくれた。
 ――冷静になれ。
 街灯横にあった公衆電話へと向かう。財布から小銭を出しぶち込み、受話器を取ってダイヤルを回す。ダイヤルが戻るまでの時間がもどかしい。早く、早く。そこまでしてまた膝が震え、へたり込んでしまった。

 ――大丈夫、大丈夫、言える。

 息を吸い込む。
『警察です、どうしました』
眠いのだろう、愛想の無い声が響く。震える声で何とか、川原で殺 人があったことを伝える。
 途端に騒々しくなる、
『どこの川でだ、あなたの名前h、』

 回線が切れた。いや、切られた。
 私の視線の先にはよく磨かれた革靴の先が鈍く光っていた。

 顔を上げる勇気なんてなく、だがしかし自分の目で確認せずにいるのはもっと怖かった。

 ゆっくりと視線を上げる。
 本来受話器を戻す場である、そして回線を繋いでいたはずの突起に、こちらを覗きこむような中腰の姿勢で彼が肘をついていた。

 アーサー・カークランドだった。
 今度こそ蒼い瞳は、哂った。

「こんばんは、先生」

 身が凍る。
 受話器から漏れる回線切れの電子音が、私の鼓膜を揺らしていた。

続話⇒ 第2話(1)塩鮭を君に

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